法科大学院と「学閥」について

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 昨日書いた記事のうち,学閥について触れた部分が,要するに早稲田や慶応に対する宣戦布告などと物議を醸しているようなので,この点に関する黒猫自身の見解を補足しておきます。
 なお,この記事における「学閥」とは,特定の大学に在籍していたことを理由にその大学出身者が一種のコミュニティを形成し,かつ,そのコミュニティに所属していると何らかの経済的メリットを得られるもの(例えば,同じ大学出身だからということで優先的に採用してもらえる,組織内で出世しやすい,仕事を回してもらいやすいなど)を指します。大学出身者のコミュニティであっても,単なる同窓会程度のものにとどまり,そのコミュニティに属しているだけで特段の経済的メリットを期待できないようなものは,ここでいう「学閥」に含みませんので注意してください。
 前回の記事で取り上げた司法備忘録のブログ主さんが,ロースクールの「学閥」をメリットとして挙げたのは,当然ながらロースクールの学閥に属することで上記のような経済的メリットが期待できると考えたからであり,もしロースクールの「学閥」を特段の経済的メリットが伴わない同窓会的なものと捉えるのであれば,どう考えても高額の授業料と2~3年もの時間を棒に振る価値がある,という結論が出てくるとは思われません。

 日本で,上記のような意味における「学閥」意識が強い大学といえば,おそらく早稲田大学がその筆頭に挙げられるでしょう。とある大学紹介サイトで早稲田大学の評判に関する記事を読んだところ,次のようなことが書いてありました。

 早稲田は規模が大きく卒業生も多いので、面接の人事担当者が早大出身というケースも珍しくありません。こういった場合、やはり人情が働くのか、同程度の評価なら早大生が優先される傾向にあります。実力以外の点でもアドバンテージが働くあたり、さすがは歴史ある名門ですね!

 こういうことを正面から売りにするのが学閥の「学閥」たる所以なのでしょうが,要するに早稲田大学の出身者は,皆が早稲田という看板を背負った運命共同体であり,社会の様々な分野で早稲田出身者のシェアを広げることが,早稲田の出身者にとって共同の利益につながると考えているのでしょう。
 企業で面接の人事担当者が早大出身で,就職希望者にある早大出身者と,それと評価が同程度の他大学(例えば東大や慶応)の出身者がいるという場合,他大学の出身者と比べてその早大出身者が優秀であると判断できる具体的根拠があるとは思えませんが,それでも早大生を優先するというのは,まさしく「学閥」意識の成せる業です。

 これに対し,東大出身者も法曹界のみならず企業や官公庁等でかなりのシェアを誇っていますが,東大出身者に早稲田と同じような意味の「学閥」意識があるかと言われると,おそらくないと思います。
 東大出身の弁護士が採用権限を持つ法律事務所で,東大出身の司法修習生と他大学出身の司法修習生のどちらかを採用するという場合,年齢や司法試験の成績など他の条件が同程度であれば東大出身者を採用するというケースはもちろんあるでしょう。
 しかし,それは同じ大学出身だからということで人情を働かせているわけではなく,推薦やAOや内部進学といった抜け道のある他大学と異なり,東大出身者は一人の例外もなく超難関の東大入試を突破し,さらに日本で一番単位認定の厳しい東京大学を卒業できた人たちなので,他大学出身者より優秀と推定する一応の合理的根拠があるからです。
 もっとも,東大を卒業したから優秀だというのはあくまでも推定に過ぎないので,採用した人が実際に優秀でなかった場合には,容赦なく叩き落とされます。

 他大学の出身者には理解しがたいかも知れませんが,東大生やその出身者は,難関の東大入試を突破してきたからこそ,東大生としての価値があるという意識を非常に強く持っています。
 早稲田大学の場合,例えば難関の一般入試ではなく,勉強のできる蓋然性が全くないスポーツ推薦枠で入った学生を早稲田の一員として受け入れることに,おそらく何の抵抗も感じないのでしょう。学業ではなくスポーツの才能で入学した人であっても,早稲田の看板を背負った「早稲田コミュニティ」の一員であることに変わりはなく,たとえ勉強が全然出来なくても,スポーツの分野で活躍し早稲田の知名度を高めることができれば,早稲田コミュニティの一員として何ら不足はないのです。
 しかし,東京大学にこのような意識はありません。東大は東京六大学野球の参加校で唯一スポーツ推薦枠がなく,そのためか現在76連敗という連敗記録を更新中ですが,だからといって東大がスポーツ推薦枠を設けようとすれば,黒猫のみならず東大関係者や出身者のほとんどは猛反対するでしょう。仮に反対を押し切ってスポーツ推薦が導入されたとしても,他の学生からは露骨に侮蔑の目で見られ,また一般入試による入学者と同様の試験や課題を課されるなどして,入学者のほとんどが卒業できない事態になるかも知れません。
 早稲田の学生や教員と違って,東大の学生や教員は公平で厳格な入学試験に絶対的な価値があると考えているので,入学試験ではなくスポーツ推薦などといういかがわしい方法で入学を認められた人を,東大コミュニティの一員として認めることは絶対にできません。過去には医学部(理科Ⅲ類)の面接試験さえ「公平でない」という理由から廃止してしまった経緯があり,平成28年度から後期日程の代わりに導入するという推薦入試に対しても批判が強く,おそらく長続きはしないと思います。

 そして,公平で厳格な東大入試を突破してきたことを誇りとしている東大出身者は,当然ながら「公平性」に対する強いこだわりを持っています。東大出身者も色々な人がいるので中には例外がいるかも知れませんが,一般的な東大出身者は,優秀であるという蓋然性もないのに同じ大学の出身者をそれだけの理由で優遇するなど,まさしく職権乱用の最たるものであり,少なくとも表立ってはやらないでしょう。むしろ東大出身の法曹は,司法修習生に対し独自の課題や筆記試験を課し,その出来で採否を決める,といった考え方をする人が多いです。


 ちょっと話は変わりますが,現在は東大にも「東大法曹会」という組織があり,他のブログでこれを東大出身法曹の学閥ではないかという話がありましたので,一応この点にも触れておきます。
 東大法曹会は2006(平成18)年に発足した組織であり,会員資格は東京大学出身の法曹(法学部や法科大学院のほか,他の学部や研究科出身でもよく,また卒業者のみでなく中退者でも構わない)等とされていますが,この組織が何のために出来たかと言えば,要するに法学部の寄付金集めです。
 平成16年の大学制度改革により,東京大学も「国立大学法人」という組織に改変されました。国立大学法人は,国から運営費交付金という形で毎年経常費の補助を受けていますが,国の財政難を反映してその金額は年々減らされる傾向にあり,国立大学も生き残るためには,私立大学と同様に寄付金等の財源を探す必要に迫られました。
 ところが,多くの法曹を輩出している他の有名大学(特に早稲田・中央・慶応等)と異なり,東大法学部の出身者は一般に母校への帰属意識が低く,そのままでは寄付金など出してくれません。
 東大法学部は卒業論文がなく,最近までゼミ(演習)も必修科目ではなく,大教室のマスプロ授業を受けただけで(ひどい場合はそれすらも受けないで)教員と親しく語り合う機会もないまま卒業していった人も少なくありません。
 また,中央大学などは司法試験合格のための法職課程という課外講座があり,そこでは同じ大学出身の法曹や司法試験合格者から講義や答案添削などを受ける機会もあるなど手厚い学習支援がなされ,合格後も答案添削等の形で母校に恩返しをするといった慣行が確立していたため,司法試験に合格すれば母校にも当然それなりの恩を感じていたでしょうが,東大法学部にはそのようなシステムは無く,司法試験を受験する人は予備校などで各自勝手に勉強しろというスタンスであったため,東大出身の司法試験合格者が母校に恩を感じる機会は少ないわけです(このスタンスは,法科大学院が出来た現在でも基本的には変わっていないようですが)。
 これではいけないということで作られたのが東大法曹会であり,主な活動は講演会等による資金集めです。平成26年7月現在で会員数1,104名,これまでの8年間で東大法学部に累計2000万円の寄付を行ったそうですが,東大出身の司法試験合格者数を考えると参加率が高いとは言えず,集金実績も有名私大に比べて多いとは言えないでしょう。
 これと似たような組織として,例えば早稲田大学には稲門法曹会(2008年設立)というものがありますが,全国9つの地域支部と3つの職域支部を有し,会則にも東大法曹会と違って「法曹分野における早稲田大学および早稲田大学校友の評価を向上せしめ、社会的に定着させる」という目的が明記されています。
 稲門法曹会くらいになれば立派な「学閥」と評価できるでしょうが,東大法曹会は規模もしょぼい上に,東大出身法曹の直接的な利益につながるような活動を目的としておらず,少なくとも冒頭に定義した「学閥」と言えるような存在ではありません。


 だいぶ話が逸れましたが,東京大学は他の有名大学と違って,少なくとも典型的な「学閥」という発想に馴染まないところがあるということは,ここまで読んでいただければある程度お分かり頂けるのではないかと思います。
 ところで,法曹関係者は当然ながら東大出身者ばかりではありませんが,大学教授出身者などごく一部の例外を除けば,公平で厳格な旧司法試験を突破してきたある意味同質の集団で構成されており,当然ながら難関の旧司法試験に合格したことに強い誇りを持っています。悪く言えば「試験信仰」が非常に強いわけですが,これは以上に論じた東大生的な気質に相通じるところがあります。
 旧司法試験は,昭和40年代以降の合格者数抑制(弁護士のみの増員を求めた最高裁・法務省側と,裁判官・検察官を大幅増員しなければ増員を認めないという日弁連の主張が対立し,合格者数を増やせなかった)で受験者層が非常に高齢化し,法曹志望者の増加と合格者層の若返りが課題となっていましたが,対策として示された大学からの推薦制などは断固として拒否。紆余曲折の末,1996(平成8)年からは合格枠制(論文試験合格者のうち一定割合を受験回数3回以内の枠とする案。通称丙案)が一時導入されたものの,これにも試験の公平性を害するとの批判が収まらず,10年足らずで廃止となっています。
 また,旧試験時代には,司法試験に合格しなくても法学部の教授または助教授(現:准教授)を5年以上務めていれば弁護士登録が可能でしたが,この資格により弁護士登録した大学教授の多くは「準備書面もろくに書けない」と猛烈なバッシングに遭い,中には「知的財産法は法律学に該当しない」という理由で弁護士会に登録を拒否され,訴訟で争ってようやく登録が認められたという人も出る始末でした。
 良いか悪いかは別として,これらは旧司法試験出身の法曹による「試験信仰」がいかに強いものであるか伺われる事情であり,その気質は一般入試による選抜に絶対的価値を認める東大生の気質と相通じるところがあると言えます。

 これに対し,法科大学院構想は「点による選抜」から「プロセスによる養成」を理念として掲げ,旧司法試験のような難関の一発試験に合格したら法曹資格を与えるというのではなく,法科大学院を通じて多様な人材を法曹界に参入させるべきであると主張しました。これまでの文脈を踏まえれば,要するに法曹界を「東大型」から「早稲田型」へと変質させることを企てた,とも言えます。
 また,旧司法試験制度の下では,司法試験に合格すればどこの大学出身でも概ね就職先に困ることはなかったため,特定大学の「学閥」に所属する特段のメリットもありませんでしたが,合格者数が激増し司法試験に合格しても就職先が保証されないという時代になると,ロースクールの「学閥」,要するに出身校のコネで就職出来るかどうかが決まるという余地も生じ得ることになります。
 ただし,法科大学院制度による法曹界の「東大型」から「早稲田型」への移行は,実際には全然前に進んでおらず,旧司法試験組のすさまじい抵抗で逆風にさらされています。
 法科大学院の志願者数は激減しており存続も危ぶまれる状況ですが,法科大学院教育に対する最も強い批判は,要するに「司法試験に合格していない者が法曹を養成できるはずがない」というものです。
 また,法科大学院出身者の採用にあたり,出身法科大学院やその成績は採用上必ずしも高く評価されず,むしろ新司法試験の順位等から「旧司法試験にも合格できる人材と言えるかどうか」が採用の大きな決め手とされました。法科大学院生は,ローの成績ではなく司法試験で高得点を取ることを目標とした勉強を中心にするようになり,予備試験が施行されてからは,予備試験を司法試験の模試代わりに活用する法科大学院生も非常に増えています。政府の意図にかかわらず,法曹会を「東大型」から「早稲田型」に移行しようとする試みは,法曹界に多大な混乱を招きつつも,いまや完全に挫折し「東大型」に回帰しつつあると言って差し支えないでしょう。

 そもそも,一般論として東大のような大学の在り方が絶対に正しいとまでは言えないとしても,法曹のような知的エリートの養成手法として,上記で述べた「東大型」が悪であり「早稲田型」が善である,と言えるような要素はあまりないと思います。
 政府・文科省の政策としては,大学の入学者選抜は「必ずしも公平である必要はない」とし,むしろ大学の在り方としては「早稲田型」を推奨していますが,「早稲田型」の最大の問題点は,一体何をもって必要な資質とするかの基準が不明確であり,そのため質の確保自体が困難だということです。
 企業等でも,AO入試といった新しい方式で有名大学に入学した人の評価は芳しいものではありませんし,とりわけ法律に精通していることが専門家として認められる絶対条件である法曹界では,要するに「旧試験合格者ほど法律に精通していなくても,多様性その他何やらよくわからない基準を満たしていれば法曹資格を認める」という考え方は,結局のところ法曹全体に対する社会の信頼を失わせることになりかねません。
 また,社会正義の担い手である法曹の選抜について「公平性」を軽視するというのも大きな問題です。司法試験の合否や成績といった客観的な基準ではなく,面接担当者と「学閥」,要するに出身ロースクールが同じであることが採用の大きな決め手となるような法律事務所に,一体どれだけの国民が依頼者として自分の人生を委ねられるのでしょうか。出身ロースクールのコネで任官が決まるような裁判官に,公正な判決を期待できるのでしょうか。

 現実問題として,法科大学院は学生時代に予備試験合格を果たせなかった人が行く「罰金付き牢獄」程度の評価しか与えられておらず,修了者全員に職を保証できるような法科大学院は一校もない以上,ロースクールの「学閥」にそれほどの価値があるとは思われません。
 例えば,早稲田ローでは,最近修了生の就職対策として「早稲田リーガルコモンズ」という事務所を設立し,ローの後輩を年に3~4人受け容れてOJTの機会を提供する試みを始めたそうですが,早稲田ローの規模を考えれば焼け石に水です。要するに,日本最大級の「学閥」である早稲田でさえも,深刻な就職難に悩む自校の修了生にこの程度のことしかしてやれないのが現実なのです。
 ただ,黒猫個人としては,現実の法曹界で「学閥」が役に立つかという問題以前に,そもそも「学閥」のコネに頼るような人が法の担い手として相応しいのか,ということを強く問題にせざるを得ません。
 以上を,「学閥」の例として挙げた早稲田や慶応に対する「宣戦布告」と解されるのであれば,黒猫としてもそれはやむを得ないと思っています。これに対し,「学閥」が法曹養成制度の正しい姿であるなどと主張されたいのであれば,どうぞ勝手に議論してください。たぶん何を言われても黒猫の見解は変わりません。
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