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「風林火山」の醍醐味

 今週は、おそらく波乱の週になりそうな感じで、おそらく記事を書く暇などなくなると思いますので、今のうちにつぶやいておきます。

 今年の大河ドラマ「風林火山」は毎週観ていますが、ちょうど時代が、織田信長などが登場している一世代ほど前の話なので、非常にマニアックな歴史上の人物が多数登場してきて、マニアにはたまらない世界ですね。
 いわゆる花倉の乱で、梅岳承芳(のちの今川義元)の軍師として、今川家と武田家の和解工作を成功させた太原雪斎。彼は今川義元が駿河守護となった後も軍師として活躍し続け、晩年は松平竹千代(のちの徳川家康)の教育係も務めています。雪斎は1555年に亡くなっていますが、もし彼が生きていれば桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られることはおそらくなかっただろうと言われています。
 そして、同じ花倉の乱で駿河を追われ、相模の北条家に落ちのびた、福島(くしま)越前守の嫡男福島彦十郎。彼こそ、後に北条家一門に列せられ、「地黄八幡」の異名を取った猛将北条綱成その人です。彼と山本勘助が戦ったシーンでは、「おお、あの北条綱成と山本勘助の戦いだ!」と思わず興奮してしまったものです。
 そして武田家では、後に長男晴信(彼が後の武田信玄であることは言うまでもありません)に甲斐国を追われることになる武田信虎。そして、晴信の治世初期を支えた重臣板垣信方、甘利虎泰、「鬼美濃」の異名を取った原虎胤、そして投石戦法で有名な小山田家の当主小山田信有。これだけマニアックな名前が並ぶと、なんかわくわくしてきますね。
 その中で、主人公である山本勘助は、今のところ仕官先を求めてさまよっているわけですが、ドラマでの話が真実であるかどうかについては、黒猫は別にこだわりません。山本勘助という人自体、『甲陽軍艦』といういささか信頼性の低い史書には軍師として描かれているものの、彼が実在の人物であったかどうかはつい最近まで疑問視されていたということですから、当然彼の人生の歩みなど細かい史料が残っているはずはありません。まあ史料がほとんどないのは、後に主家の武田家が滅亡してしまっているからでしょうが。
 史料では細かいことが載っていない場合、逆にその谷間に作家の創作の余地が出てくるわけで、こういう人の物語の場合は、露骨に史実とかけ離れたりしていない限り、基本的に面白ければそれでよいのです。まだ『風林火山』は始まったばかりですが、今のところは良いドラマだと思っています。

 史料に細かいことが載っていないといえば、前回の大河ドラマ「功名が辻」についても同じことが言えます。山内家は幕末まで残った大名家ですが、実際には家中のことは妻の千代が仕切っていて「女大名」などと呼ばれていたとか、種崎浜で一両具足の頭目たちをだまし討ちにしたなどということは、当時の常識から考えれば不名誉なことですから、あまり公式な史料には残らない話です。
 史料が乏しいところを、作者の司馬遼太郎さんが創作を働かせて、原作の「功名が辻」ではいい感じの一豊像と千代像が出来上がっていたのですが、大河ドラマでの「功名が辻」は、原作の良さがあまり発揮されておらず、しかも露骨に史実を無視した創作まで入れられているので、思わず「嘘っぽい」「美化しすぎ」とクレームをつけたくなるようなドラマになってしまっていました。
 そのため、功名が辻については以前このブログで辛い評価を書いたのですが、どうやら読者の方の中には、それを読んで「黒猫は『功名が辻』の原作に書いてあることをすべて真実だと思い込んでいる」という印象を持たれた方がいるようなので、別にそういうわけではない、単に物語の出来が悪いということを書いただけだということを、一応お断りしておきます。

 話を『風林火山』に戻しますが、おそらく次に待っているのは、武田晴信による父親追放劇でしょう。この点についてはドラマをよく観て、参考にしたいと思います(笑)。
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黒猫

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